投資銀行過酷日記

全ての就活生、転職希望者、港区女子に送る

プロローグ:きっかけ

プロローグとしてまずはなぜ外資投資銀行で働くことになったのかを紹介したい。

 
自分は幼いころ、貧しい家庭で育ち、子供心ながらわずか480円のミニカーですらなかなかねだれないと感じていた。
また、そんな家庭だったこともあり、よくイジメられていた。
大きくなったら絶対にたくさんの「お金」を稼ぎ、「周りを見返してやりたい!」とずっと思っていた。
 
そんな子供もすくすくと(?)育ち、大学生になったころ、ひょうんなことから「外資系への道標」というサイトに知り合った。
そこで書かれていたのは外資投資銀行の面接対策、各社の特徴、そして年収であった。年収の部分は、目がくらむような衝撃を感じたのを覚えている。
なんせ初年度で年収800万円を超え、5~6年目で年収2,000万円を超えるというものであったからである。
そこから私はひたすらに外資投資銀行で働き、たくさんの「お金」を稼ぐことを目標に生きてきた。
(今ではそれが大きな間違いと気付くのだが。)
 
このブログでは自分自身の就職活動、日系投資銀行での仕事、転職活動、そして、個人的に奴隷契約と呼んでいる外資投資銀行の仕事について書いていきたい。
 
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